【コラム】旅へのお誘い 第1回 私が旅好きになった経緯

松原利明

 子どもの頃から電車やバスで出かけるのが好きでした。もっとも私が幼少期を過ごした昭和20年代から30年代の前半までは、一般の家庭で旅行するというのはあまりないことで、まして旅館に宿泊というのは修学旅行か新婚旅行くらいのものでした。国鉄の特急列車に乗って旅行なんてことは夢のまた夢の時代。
そんな時代でしたが、ありがたいことに、私は昭和38年(1963年)からしばらく、毎年北海道へ行くという機会を得て、ここに旅の原点があるのです。それが今の旅行好きに繋がっているのは確かです。
当時の北海道といえば、今の感覚ではシンガポールやロサンゼルスへ行くよりも大変なところだったと思います。大阪駅から札幌駅まで特急と青函連絡船を乗り継いで25時間もかかっていましたから。
こう話せば「なぜ飛行機で行かないの?」というところでしょうが、当時は飛行機に乗るなんて発想自体ありません。運賃料金を比較しても、国鉄なら大阪〜札幌を特急利用しても3,600円ほど、学割を使えば3,000円弱。それが飛行機なら約17,000円(これ片道ですよ)。大卒の初任給が2万円ほどの時代です。物価水準が約10倍になっていると考えると、飛行機利用の割高さがおわかりだと思います。(国鉄でも特急利用というのは贅沢で、もっぱら急行利用が主流でした)
昭和39年の東京オリンピック開催に合わせて東海道新幹線が開通し、少しは旅行というものに人々が関心を持つようになったと思いますが、それでも当時は東京、新大阪から「ひかり号」「こだま号」が1時間に各1本運転という、今では考えられない運行状況でした。
しかしその頃から、全国に特急列車網が形成されるようになり、それがまた次々と増発され、加えて今ではほとんど消滅した夜行列車(特にブルートレインと呼ばれるもの)が日本各地を走り、旅行する環境は格段に向上していったのです。
そこへもって1970年(昭和45年)の大阪万博開催で、日本国中から関西へ人がドッと押し寄せ、それを契機に観光としての旅行が一般化して、人々が団体旅行から個人旅行へと目を向けるようになったように思います。
そしてその大阪万博が終了してすぐに、国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が開始。おりしも若い女性向けの雑誌『an・an』『non-no』が発刊され旅を推奨、これに影響を受けた多くの人が旅行にでかけるという流れが定着したのではないでしょうか。
またそれまでは、主な都市か温泉地にしかなかった宿泊施設が、旅行需要に合わせ地方にも建設されるようになったことも、旅行に出かけやすくなった一因でしょう。

次回は「旅に出る楽しさ」を

松原利明さん プロフィール

南野坂在住

経歴 長年大手旅行会社に勤務
支店で個人客・営業本部で団体企画に対応
国内外の添乗経験あり
某テーマパーク大阪支店にも在籍していた